空を見上げて

風のビビアン(18)

ラベンダー1
部屋の掃除をしていると、家具の間にビビアンが良く遊んでいたペットボトルの青い蓋が落ちていた。私はそれを取り出し、手のひらにのせた。そして指で触って見た。

ビビアンは、どんな猫のオモチャよりこのペットボトルの蓋が気に入って遊んでいた。まるでサッカーでもしているかの様に、真剣に転がしたり、飛ばしたりしていた。その挙句、蓋は家具の間に転げて行き、それを又面白がって、横になったり、腹ばいになったりして前脚を伸ばし、蓋を取ろうとして反対に奥に押し込んでしまうのだった。

私はビビアンが残していった、青いペットボトルの蓋を引き出しにしまった。ビビアンが遊んでいたオモチャは、私にとって大切な宝だから。






(総括)日記「風のビビアン」



◆日記3月1日、最初のページ
「千の風ビビアン」




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<相互リンクして頂きました。大変有難うございました>
クラシックMIDIラインムジーク
「夢路より」




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私が数年前にお会いした、写真家、エッセイストの児玉小枝さのHP「どうぶつたちへのレクイエム」の中にあるリンク集に、blog「風のビビアン」を掲載して頂きました。偶然、掲載して頂いた日が3月26日で、ビビアンへの贈り物の様に感じました。心から感謝しています。

どうぶつたちへのレクイエム




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同じ心筋症で愛猫を失われた「ねむねむ共和国」さんのHPにもリンクを貼って頂きました。大変有難うございました。
ねむねむ共和国










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風のビビアン(17)


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相互リンクして頂きました。大変有難うございました。
クラシックMIDIラインムジーク
「夢路より」

2000年7月3日誕生
2007年2月26日永眠







今年2月26日、私は最愛の猫ビビアンを「肥大性心筋症」で失いました。突然襲った病は、たったの2日間でビビアンを永久に私から奪い去りました。

ビビアンの死と向かい合いながらblogに綴った日記を総括しました。

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2月26日
突然、私の愛する猫ビビアンを失ってしまいました。余りの悲しさに、今は何も書く事ができません。安楽死に対しては如何なる理由があっても、強く反対していた私がビビアンを腕に抱き安楽死をさせてしまいました。突然心筋症により後ろ足が麻痺、その上治療中に肺に穴が開いてしまったのです。詳しくはもう少し私自身の気持ちが落ち着いてからにします。





ビビアン(その1)
2月24日の夕方6時過ぎ、ビビアンをいつもの掛かり付けの病院へ連れて行った。後肢は両方共全く動かなくなっていた。脊髄障害か心筋症との事。後肢の爪を少し深く切り血が出るのを確認し、心筋症よりも脊髄障害の疑いがあるとしてステロイドを注射された。でも心筋症の疑いが全く無くはなく、もしその場合にはその日の中に急死する恐れがあるので、夜間センターに行き詳しい検査をする様に言われた。病院を出ると夜間センターに直行した。ビビアンは痛さと、恐ろしさで泣き通しだった。夜間センターに着くと9時からだと言われ、一旦家に戻る事にした。このまま2時間もビビアンを泣かしたままで待合室に居る事が耐えられなかった。家に戻ると、ビビアンは動かなくなった後肢を引きずりながら泣きながら、うろたえながら動き回ろうとした。トイレに何度も入ろうとしたが、動かなくなった後肢ではトイレも出来ない状態だった。後肢を抱えてやったが、うまく行くはずはなかった。地獄の様な時間が始まっていた。
2000年7月、生後約10日位の幼猫6匹がダンボールの中に入れられ捨てられているのを、近くの橋の下で見つけた。途方に暮れた私は取り合えず哺乳瓶を用意しミルクを与え始めた。道行く人達は一様に話しかけてくれ、”大変やなあ、ひどい事する人がいるなあ”と言ってくれたが一匹でももらってくれる人はいなかった。私は、暗くなるまで同じ場所にじっとしていた。どうして良いか分からなかった。既に家には3匹の猫を飼っていたからである。だが、心配して見に来た父の一言で決まった。家に連れて帰って、それから又考えようと言ってくれた。嬉しかった。
一ヶ月もすると、見た目も本当に可愛くなり、2匹の里親も見つかった。その頃から他の猫と少し違っていたビビアンを、わざと貰われない様に隠していた。それ程ビビアンは抜きん出て愛らしかった。





ビビアン(その2)
夜8時40分頃に夜間センターに戻った。ビビアンは泣き続けている。受付でもらった用紙に記入する私の手は震えていた。
9時から診察が始まった。ビビアンの呼吸が荒くなり、その為口は少し開いたままで、その口からは悲鳴の様な泣き声が絶え間なく続いた。きれいなビビアンのお腹の毛がバリカンで刈取られ、エコー検査、レントゲン、血液検査等一通りの検査を受けた。その結果、肥大型心筋症と診断される。心筋症の原因は不明らしい。心臓の内側の筋肉が厚くなり、心臓の機能が低下し血流が悪くなり、突然血栓が腹部の動脈に詰まって後肢が麻痺してしまったのだ。医者は検査の結果を写真や分析表を見せながら説明してくれたが、激痛で泣き続け、のたうちまわるビビアンを押さえつけながらそれ等の説明は耳に入らなかった。最初に診てもらった主治医が血栓を溶かす薬があると言っていたのを思い出し、その話をすると血栓は又何処かに出来る可能性が高いので、まず心臓の治療を優先すると説明された。たった今血栓が詰まっているというのに何故なのだろうと疑問に思った。ビビアンの容態はみるみる悪くなって行った。肺にも水が溜まっていた。不運な事に、最初の病院でステロイド注射をされた為、鎮痛剤が使用出来ないと言われた。全てが絶望的に思われた。点滴は5時間続けられた。その間私はビビアンの前肢を持ち、苦しみもがくビビアンの体を押え続けた。夫は殆ど立ったままの姿勢でビビアンの口に酸素吸入を当てていた。気が付くと夫が泣いていた。夫は良くビビアンは世界で一番幸せな猫だなと言っていた。私の愛情を独り占めにしている様な猫だった。ビビアンもまた私達を愛してくれていた。ビビアンと他の猫との大きな違いはそこにあった様に思われる。




ビビアン(その3)
2月25日午前2時、ビビアンは酸素室に移される事になった。医者からは、やるべき事は全てやった事、心筋症は完治すると言う事はなく長くて数週間、数ヶ月後に殆どが死んでしまうとの説明を受けた。何時間もの長い間激痛に泣き叫び続けたビビアンの命が私の力ではどうにもならない所へと引き離されて行くのを感じた。夜間センターは朝5時に閉まるので、一旦家に帰って5時にビビアンを迎えに来る様に言われた。病院を出る前に、酸素室のビビアンを見に行った。淋しそうに麻痺した肢を横にして上半身を起こした格好で、力の無いうつろな目で私を見ていた。始めて涙が溢れて来た。ビビアンが哀れでたまらなかった。私はその場を離れる時、もう一度振り返りビビアンを見た。ビビアンもじっと私のほうを見ていた。





ビビアン(その4)
ビビアンは外の世界を知らないで育った。窓から良く外を眺めて鳩や他の野鳥を見るのを楽しみにしていた。桜の咲く頃は、風が運んでくる花びらを飽きずに見ていた。
ビビアンは兄弟の中で一番体が大きいくせに、ドアの外で宅急便の配達人の声を聞くなり怖がってソファーに掛けているカバーの下にもぐり込んで隠れていた。その怖がりのビビアンが今一人ぼっちで閉ざされた酸素室に座っていた。長く美しかった自慢の肢は、糸の切れた操り人形の足の様になっていた。

家に戻ると、インターネットで猫の心筋症について調べた。USサイトを調べてみると、血栓にアスピリンを使用しているが猫にはかなり危険性がある様に書かれていた。原因不明で治療法もはっきりとしていない。はっきりしているのは長くは生きれない事。
午前5時、ビビアンを迎えに行った。医者がビビアンの呼吸が少し安定して来たと言ったので一安心する。引き続き治療する様に日曜日に開いている病院のリストをくれた。レントゲン写真、エコー検査、血液検査、投与された薬品、検査結果所見などの報告書を受け取った。そして簡易型酸素吸入器を持たされた。色々な説明を受けたあと、やっと酸素室に入れられていたビビアンが医者に抱かれて出てきた。私はキャリーケージを使わずに、ブランケットに包み込む様にしてビビアンを抱いた。まだ生きているビビアンを抱ける事を幸せに感じた。




ビビアン(その5)
2月25日、午前5時30分頃病院を出た。帰りの車の中で、ビビアンが泣き声を出さなくなっているのに気付いた。もう痛みは無くなったのだろうか、顔を見ると呼吸が楽になったせいか少し穏やかに見えた。20分後、ビビアンにとって一番安全で幸せな家にやっと連れて帰る事ができた。家の中に入るとビビアンの目が少し生き生きとして来た。いつもの部屋にそっとビビアンを横向きに寝かせ様とすると、壁にもたれる様にして上半身を起こし座っていた。兄弟達はビビアンがいつもと違うと感じたのか、また病院での薬品の匂いがしたのかビビアンに近づこうとしなかった。
ビビアンは体がいつもの様に動くかを確かめる様に、前肢を前の方に伸ばし体を動かそうとした。ビビアンは何故か、動かなくなった肢、自由に動かない体に対して余り抵抗をしなくなっていた。お水とフードを傍に置くと、取ろうとして手を出す仕草を何度か繰り返した。その度、お水やフードを取ってやると、口を近づけてみるだけだった。
近くの病院が開く9時までに少し眠る事にした私は、ビビアンの横で添い寝をした。冷たくなった後両肢を一本づつ手で握り休んだ。横になってビビアンの顔を見ると、座ったままでうとうとしていた。ビビアンの顔をみながら、神様に祈った。私の命を縮めてでもこの子の命を救って下さい、私の愛するものをどうぞ私から取り上げないで下さいと祈った。





ビビアン(その6)
ビビアンに添い寝した私は、疲れていたせいか2時間程寝る事が出来た。目を覚ますとビビアンが座ったままの格好で、愛らしい顔をして私を見ていた。呼吸のほうは穏やかな様子だったが、念の為酸素吸入をしてやった。ビビアンは怖がらずにじっとしていた。普段なら逃げて行くはずのビビアンが、何をされても抵抗しなくなったのが悲しかった。家に戻ってからも一度もビビアンは泣いていない。

朝9時、病院で調べてもらった日曜診療病院リストの中から一番目の病院に電話をかけた。その後すぐに、いつもの主治医の携帯にも電話を入れたが、留守電になっていたのでメッセージを残した。出来れば良く知っている病院のほうで診て欲しいと思っていた。暫く待ったが返事が無いので10時過ぎ、ビビアンをブランケットに抱いて家を出た。考えてみればあの朝が、生きているビビアンが6年7ヶ月を幸せに過ごした家との最後の別れになった。私達にとっても、ビビアンと過ごした最後の日となった。
タクシーを呼んでいたので少し早めに外に出た。父がタクシーが来るまでビビアンを抱いていてくれた。ビビアンは赤ちゃんの様に父に抱かれ暖かい春の兆しを思わせる穏やかな優しい陽射しに包まれていた。私はその陽射しが恨めしかった。

タクシーに乗り暫くするとビビアンの呼吸が少し荒くなって来た。私は携帯用酸素吸入器を持って来ていなかった。病院へは15分程で到着した。受付で5分程待ち呼吸が困難になっている事を説明すると、すぐに酸素室の準備がされた。ビビアンはまた狭い閉ざされた酸素室に入れられた。医者に夜間センターからのレントゲン写真、診断報告書等を渡した。それから医者からの説明を受けた。肥大型心筋症について。殆ど治る見込みが無く、生きられて数ヶ月との事。今出来る事は呼吸の管理、肺の水を取る為に利尿剤を使用する等。私は夜ビビアンに会いに来て良いか訊ねた。快く許可してくれた。病院を出る前にもう一度ビビアンを見に行った。夜間センターで酸素室に入れられた時の様に、淋しそうに力の無い目で私を見ていた。




ビビアン(その7)
2月25日、夜8時過ぎ夫と母と3人でビビアンに会いに行った。
医者が新しく撮ったレントゲン写真を見せながら説明を始めた。肺の水が大分取れたので、心臓の治療を始めたとの事。医者が始めて明るい顔で説明をしていた。少しの希望が湧いてきた。酸素室の中のビビアンを覗きながら、私は何度もビビアンの名前を呼んだ。私が良く見えていないのか、ビビアンは唯淋しそうな目でこちらの方を、ボンヤリと力無く見ていた。ビビアンの恐怖を、痛みを、孤独を共に負えない事が苦しかった。

ビビアンは他の猫達に比べ、犬の様に感情表現が豊かだった。良く立ち上がって犬の様に前脚で私達を止め、なにやら話しかけては嬉しそうに手を舐めに来た。その仕草は本当に犬の様だった。オモチャを置いてある棚のドアのノブを、立ち上がって前脚で押さえ、ここのオモチャを出してと私にせがんだ。せがむ時の目がとても愛くるしかった。皆で遊んでいる最中、自分の不得意な遊びになると、皆からわざと離れて、得意の垂直跳びをしたいと言わんばかりに壁に向かって座り、早く来てと私を見つめるのだった。夫がソファーで休んでいると、下からじっと見ていてだんだんと背伸びし目を細めてゴロゴロ言いながら、背伸びした格好のままで夫の顔を舐めていた。さながらキスをしているかの様だった。私が仕事をしていると、ドアのノブをそっと押して入ってくる。私の座っている椅子の傍に座り、じっと私を見上げ片方の前脚を私の腕にかけ、仕事を中断させたりした。ビビアンは余りニャーオと言って鳴かなかった。いつもうなずく様に、又独り言の様にウーンと言っていた。
愛するビビアンの思い出は尽きる事はない。




ビビアン(その8)
2月26日、朝10時過ぎ父と二人で病院に向かった。昨日の夜、医者から肺の水が取れて来たので、心臓の治療を始めたとの説明を受けた。その為か父と病院へ向かう私の気持ちに本の少し明るさが戻って来ていた。病院に着くと、月曜だと言うのに待合室は静かで犬や猫を連れて来ている人は誰もいなかった。医者が外から慌てる様にして入って来た。ちょっと話がありますのでと言いながら診療室の中に入って行った。その言葉に胸が大きな石で押し潰されて行くのを感じた。暫くして、中に呼ばれた。医者の説明が始まった。肺に穴が開いていて、針で肺の外側に漏れて溜まった空気を何度も抜かなければならない状態だと説明された。ぬいても、ぬいても空気が漏れるので呼吸が困難になっているとの事。なぜ、肺に穴が開いてしまったのだろう。医者にも分からなかった。

ビビアンは25日の夕方から7時間以上続いた痛みと戦い、幾つもの検査と沢山の薬品を投与された。ニトログリセリンを口元や耳に塗られた時の、ビビアンの顔を思い出すと、今でも辛くて余りにもいとおしくて泣きたくなる。そして我が家で過ごした束の間の時間。あんなにも苦しい時間を経て、やっと少しの希望が見え始めていたというのにまた不運がビビアンを襲った。
医者は針だけで空気を抜き続けても、間に合わない程穴が大きいので肺にパイプを挿しいれて、そこから溜まった空気を抜く手術をする必要があると言った。だが、心臓が弱っているので麻酔にどれだけ耐えられるかが問題だと言う。私はまだもう少し続けて針で空気を抜くように頼んだ。

ビビアンを見に行くと、狭い酸素室の中で息が苦しそうにして横たわっていた。弱りきった目でこちらを見ていた。ごめんねビビアン、私は何もしてあげられない。私は自分自身の体が冷たく凍りついて行くのを感じた。世界で一番幸せにしたかったビビアンが、今私の目の前で地獄の苦しみの中にいるのに救う事ができず、私は胸が張り裂けそうになった。




ビビアン(その9)
26日の午後1時過ぎ、病院から電話が入った。私は丁度その時、夫にビビアンの容態が急変した事について話している最中だった。肺の穴から抜けて溜まった空気を、針で取っているが針では間に合わなくなって来たので、これから肺の外側の壁にパイプを挿し込む手術をするとの連絡だった。私はこれからすぐに病院のほうへ行くと言うと、手術が終わった後でまた電話をすると言われた。
私と夫はテーブルに座り、今手術を受けているビビアンを想った。二人とも余り言葉が出て来なかった。私は唯ビビアンを想いながら声を出して泣いてた。夫も泣いていた。泣きながら夫が”安楽死”と口にした。私は如何なる理由があっても安楽死には反対の意見を持っていた。その私に、私の愛するビビアンを”安楽死”にすると言う選択が課せられている事を感じた。私と夫は同じ事を思い、泣きながら見合った。

2時頃病院から電話が来た。手術は終わったが、まだ呼吸困難の状況が続いているとの事。急いで病院へと向かった。病院に着くなり、ビビアンを見に行った。酸素室の中のビビアンは口を少し開けながら苦しそうに呼吸をしていた。目は少し開けて私の方を見ていた。医者は肺の穴が大きく酸素が殆ど漏れていると言った。肺の穴を塞ぐ手術をしてもビビアンの心臓がもつ可能性は殆ど無いと説明した。私は少しの可能性であっても、手術を受けられないか訊ねた。医者は唯同じ説明を繰り返した。そして私は苦しむビビアンを見ながら医者に安楽死を頼んだ。私はビビアンを抱いている状態で安楽死させて欲しいと頼んだ。医者は許可してくれた。私は酸素室からビビアンを出し、そっと抱きかかえて椅子に座った。医者が準備をし始めた。

私はビビアンに話し掛け続けていた。「ビビアン抱いていてあげるからね。ずっと抱いていてあげるからね」。
今までの人生でこれほど辛くて、悲しい事があっただろうか。ペットを失った経験は過去にも何度かあった。でもビビアン程愛した動物はいなかった。




ビビアン(その10)
まだ生きているビビアンとの時間がもうすぐ終わろうとしていた。私はビビアンの名前を繰り返し呼ぶだけだった。「ビビアン、私の顔を見て、ビビアン、抱っこしててあげるからね」。ビビアンは呼吸が殆ど出来ずに苦しんでいた。私はビビアンを早くこの苦しみから放ってあげたかった。だが、私が今しようとしている事は、安楽死という名のもとで愛するビビアンを殺そうとしていた。ビビアンは今私に抱かれて、自分の命が絶たれ様としている事など知る由もなかった。ごめんねビビアン、ごめんねビビアン。私は謝り続けた。医者が静脈注射を持って来た。もう本当に最後の時間が来ていた。なんとう言う残酷な運命が、幸せだった私とビビアンを待ち受けていたのだろう。医者がビビアンの前脚を取った。「ビビアン、大丈夫だよ、抱いてるからね」。私はビビアンを騙していた。騙したまま天国に送ろうとしていた。その時医者が、注射が静脈に入らないと言った。それと同時に、25日の朝から一度も声を出さなかったビビアンが、苦しみで絶叫の声を2度上げた。大きな悲痛に満ちた鳴き声だった。私はその声を今も毎日思い出している。安楽死をもビビアンに与える事が出来なくなっていた。私は即座に、楽に死なせて下さい。麻酔をしてやって下さいと叫んだ。私たちは処置室の方へ移動した。医者は肺に穴が開いているので麻酔がすぐに効くかどうか分からないと言った。麻酔がかけられ始めた。私はビビアンの体に手を当て、ビビアンの顔の近くに自分の顔を寄せていた。死に逝くビビアンに、私は何度もキスをしていた。約2分で心臓が止まった。ビビアンは死んでしまった。
ビビアンをキャリーケージに入れ、私は呟いた。「さあビビアン家に帰ろう」。

2007年2月26日 永眠 T.ビビアン 6才7ヶ月


ビビアンの亡き骸をキャリーケースに入れ、抱きかかえる様にして病院の外に出た。ビビアンがもう居なくなったと言う寂しさが、心の中でどんどん膨らんで行くのを感じた。途中で花屋に立ち寄った。どの花を選ぼうか迷っていると、店員の人が近寄って来た。私の猫が死んだのでと言うと、ピンク色のガーベラ数本とスイートピーの花とかすみ草を選んでくれた。

2月26日、午後4時過ぎ、ビビアンはやっと大好きな我が家に帰って来た。









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「千の風ビビアン」


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風のビビアン(16)


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2000年7月3日誕生
2007年2月26日永眠






2月26日月曜日、午後4時過ぎ、ビビアンはやっと大好きな我が家に帰って来た。
ビビアンは6年と7ヶ月の間、外には一度も出た事がなかった。家はビビアンにとって信頼と愛に包まれた全世界だった。



3ヶ月前の2月26日、私は愛するビビアンを安楽死させた。私は本当にあの時に、正しい選択をしたのだろうか。自分が耐えられなくなり、ビビアンの命を恰も自分の命の一部の様に思い決断したのではなかったのだろうか。苦しみの中にあっても懸命に生きようとしていたビビアンの命を、私は奪ってしまったのではないのだろうか。どうして自然死を与えてやらなかったのだろう。
ビビアンが亡くなって約一ヵ月後、10歳の兎のラビが亡くなった。兎にしては長生きだった。ラビがもう何も食べられない状態になってからは、リンゴジュースを作りスポイトで少しづつ飲ませた。ラビを抱きジュースを飲ませながら、私はビビアンを思った。例え長生き出来ないと分かっていても、こうして数日でも良いから家で看病をしてあげたかった。高齢のラビは家で自然死をさせた。ラビは旅立つ前に、大好きだったバジルの葉を一枚食べた。そして、本当に眠る様にして死んで逝った。
愛するビビアンを安楽死させた事への後悔と自分への怒り、そしてビビアンを失った寂しさが心の中で入り混じり、今も涙が溢れ出て来る。


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風のビビアン(15)


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2000年7月3日誕生
2007年2月26日永眠






2月26日月曜日、午後4時過ぎ、ビビアンはやっと大好きな我が家に帰って来た。
ビビアンは6年と7ヶ月の間、外には一度も出た事がなかった。家はビビアンにとって信頼と愛に包まれた全世界だった。


その夜、ビビアンの兄弟達はビビアンの亡き骸の近くに、余り近づこうとはしなかった。少し離れた場所から私とビビアンを、不思議そうにして見つめていた。ただビビアンの傍らに手向けた花を触りたくて、そっと近寄ったりしたが、すぐに離れるのだった。あんなに毎晩レスリングをしたり、大きくなっても仲良くペット用のベッドからはみ出しそうになりながら一緒に抱き合って寝ていたのに、冷たくなったビビアンはもう彼等の知るビビアンではなくなっていた。短い命の動物達にその様な悲しみを神様は負わせなかったのだろうと私は思った。
私は翌日にダビに臥されるビビアンの毛を少しハサミで切り、ティッシュペーパーに包んだ。この様な事をしたのは初めてだった。

5月に入り、私は銀のロケットペンダントを買った。そこに小さくティッシュペーパーで包んだビビアンの毛を大切に閉まった。


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風のビビアン(14)


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2000年7月3日誕生
2007年2月26日永眠






2月26日月曜日、午後4時過ぎ、ビビアンはやっと大好きな我が家に帰って来た。
ビビアンは6年と7ヶ月の間、外には一度も出た事がなかった。家はビビアンにとって信頼と愛に包まれた全世界だった。


2月24日土曜日の夕方から恐怖と苦しみ、孤独に耐えて来たビビアンは、報われる事なく、死を知らぬまま生涯を閉じた。26日の夜、眠っている様なビビアンの傍で、私は触れる事が出来る最後のビビアンの体を、何度も愛おしさを込めて撫でた。そしてビビアンの好きだった童謡を小さな声で歌ってあげた。私はビビアンと兄弟達が幼い頃から、良く童謡等を歌いながら遊んでやっていた。私が歌っている間、ビビアンは真面目な面持ちで私を見つめ、時々口を小さく開けてつぶやく様に鳴くのであった。その様子が可笑しくてたまらなかった。


◆日記3月1日、最初のページ
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風のビビアン(13)


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「夢路より」

2000年7月3日誕生
2007年2月26日永眠



〜日記 風のビビアン(1)より〜
ビビアンの亡き骸をキャリーケースに入れ、抱きかかえる様にして病院の外に出た。ビビアンがもう居なくなったと言う寂しさが、心の中でどんどん膨らんで行くのを感じた。途中で花屋に立ち寄った。どの花を選ぼうか迷っていると、店員の人が近寄って来た。私の猫が死んだのでと言うと、ピンク色のガーベラ数本とスイートピーの花とかすみ草を選んでくれた。

2月26日、午後4時過ぎ、ビビアンはやっと大好きな我が家に帰って来た。



・・・・・・あの日以来、私は祈る事をしなくなった。未だに、ビビアンの死が受け入れられないで居る。ビビアンの死を理解する為に毎日書いた日記を振り返り、生きていたビビアンに会いに行く。
時折、忌まわしい肥大性心筋症について知る為に、ネット上を徘徊している。まるでビビアンをまだ救おうとしているかの様に・・・・・・


◆日記3月1日、最初のページ
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風のビビアン(12)


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2000年7月3日誕生
2007年2月26日永眠





ビビアンのベッドもブランケットもそのままにしている。今も寝る時はいつもの様におやすみと言っている。

日々が何もなかったかの様に穏やかさを取り戻して来た。穏やかに、幸せな時間が戻って来る程、辛くてたまらなくなる。そこにビビアンだけが居ないから。ビビアンだけが、まるで罰を受けたかの様にみじめな姿になり、苦しみながら死んで逝った。

私は、ビビアンや兄弟達を全くの室内飼いにして育てた。そのせいか、良くテレビで自然の景色や、鳥や動物達を食い入る様にして観ていた。家族以外の人間に接する事もなかった。ビビアンにとってこの家の中だけが全世界だった。そして、全信頼を私達家族に寄せていた。そんなビビアンを私は守ってやる事が出来なかった。
〜日記 風のビビアン(その6)より〜


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風のビビアン(11)





「車の窓から、白いコブシの花が見えた。風に揺れるコブシの花が愛らしく、ビビアンの様に思えた。」
3月15日の日記より

今も風に揺れる木の葉や花を見ると、ビビアンを想い浮かべてしまう。窓の外には風が桜の花びらを運んでくる。ビビアンは、良く窓越しに舞いながら落ちて来る桜の花びらを、時々私の方を振り向いては飽きずに見ていた。

あの幸せな時間はもう戻ってこない。私にも、ビビアンにも。




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風のビビアン(10)

3月26日、私は丁度一ヶ月前の2月26日の夕方に立ち寄った同じ花屋に行き、あの時と同じガーベラ数本とスイートピーの花を買った。私が選んだ花ではなかったけれど、あれ以来それらの花はビビアンを想う花となった。
ビビアンを失った悲しみより、ビビアンが死に至るまでの恐怖と地獄の様な苦しみを想い、ビビアンの苦しみを私も共に背負う事によって癒してあげたい。

それでも、ある人から贈られた”千の風”の詩は、私とビビアンを深く慰めてくれた。


2月26日

永眠


私が数年前にお会いした、写真家、エッセイストの児玉小枝さのHP「どうぶつたちへのレクイエム」の中にあるリンク集に、blog「風のビビアン」を掲載して頂きました。偶然、掲載して頂いた日が3月26日で、ビビアンへの贈り物の様に感じました。心から感謝しています。

どうぶつたちへのレクイエム

バジルmintea23  at 03:34  | コメント(3)  | トラックバック(0) |  この記事をクリップ! 風のビビアン  

風のビビアン(9)




私が最後にビビアンの暖かい命を抱いた日から、丁度一ヶ月が過ぎた。
悲しみは何も癒えていない。涙がまだ生きていたビビアンとの絆を繋いでいるかの様に思える。だから、私はその悲しみを自分の中から取り去り、過去に置き去りにしようとは思わない。

バジルmintea23  at 04:30  | コメント(1)  | トラックバック(0) |  この記事をクリップ! 風のビビアン